独り言

起きたとか、起きなかったとか、よくわからない

盲いた老婆の額突き

1984年のニュースピークではないけれど、言葉は思考を規定する。


例えば人が"幸せ"と言う時、美味しいものを食べたとか、気の置けない友人たちと話せたとか、恋人と仲睦まじくしているだとか、シチュエーションは様々だろうが、唯一つ共通しているのは目の前のモノ/コト以外に対して盲目になっていることである。

そもそも人には寿命があって、死という不可知な領域がある限り、絶対安泰太平などということはあり得るはずがない。列挙すればキリがないが、死以外にも不安要素は尽きることはない。つまり絶対的な幸せはあり得ない。

それでもなぜ人が"幸せ"というポジティブな言葉で表現するかというと、ネガティブな部分はなるべく排除したいからで、それは例えば"美しい"という言葉にも表れていると思うし、そういうふうに言葉が規定されていることで、ひいては自己を防衛しているのだ。

その視点で反省をしてみると、何一つ全きポジティブなことなどなく、まさしく自己が崩壊していく感覚に陥る。言葉でしか思考できないのに、その言葉さえも信用できなくなる自家撞着になってしまうのだ。


だからこそ、言葉一つ一つを、特にポジティブな意味が含まれる言葉に対しては特に注意を払って、定義していきたい。そうすることでしか前に進めないし、もう盲目には戻りたくないからだ。