独り言

起きたとか、起きなかったとか、よくわからない

底辺労働者が楽しそうに野球を観ている姿、涙が出てくる。

盲いた老婆の額突き

1984年のニュースピークではないけれど、言葉は思考を規定する。


例えば人が"幸せ"と言う時、美味しいものを食べたとか、気の置けない友人たちと話せたとか、恋人と仲睦まじくしているだとか、シチュエーションは様々だろうが、唯一つ共通しているのは目の前のモノ/コト以外に対して盲目になっていることである。

そもそも人には寿命があって、死という不可知な領域がある限り、絶対安泰太平などということはあり得るはずがない。列挙すればキリがないが、死以外にも不安要素は尽きることはない。つまり絶対的な幸せはあり得ない。

それでもなぜ人が"幸せ"というポジティブな言葉で表現するかというと、ネガティブな部分はなるべく排除したいからで、それは例えば"美しい"という言葉にも表れていると思うし、そういうふうに言葉が規定されていることで、ひいては自己を防衛しているのだ。

その視点で反省をしてみると、何一つ全きポジティブなことなどなく、まさしく自己が崩壊していく感覚に陥る。言葉でしか思考できないのに、その言葉さえも信用できなくなる自家撞着になってしまうのだ。


だからこそ、言葉一つ一つを、特にポジティブな意味が含まれる言葉に対しては特に注意を払って、定義していきたい。そうすることでしか前に進めないし、もう盲目には戻りたくないからだ。

7/6

玄関の扉を開けると、今にも雨の降りだしそうな曇天がビルの窓に反射して顔を覗かせていた。1人で息抜きをしに出かけるつもりだったので外出する必要は全くなかったのだけれど、シャワー浴びて服を着替えて身支度もしたということを考えると、どうもこのまま雨のせいで引き下がるのは納得がいかず、家の中を振り替えて見、傘立てにも入れられずに家の誰かが使ったまま壁に立てかけられたビニール傘を掴み、同時に逆の手で曇天が薙ぎ払われるように勢いよく扉を開け放した。すると現れたのは、この項垂れる空気をそのまま身に纏ったようなみすぼらしい見た目をした、1人の青年だった。

家の前の通りは、大通りから2本路地を入ったところなので昼の人通りはほとんどなく、またそのほとんども近所の主婦であったので、全く見知らぬ男がいることは珍しく、目が合ったまま話せないでいると、その男はそのタイミングを待ちかまえていたかのように声をかけてきた。

男は、黒目が小さいせいで見開かれているように見える三白眼で、しかも目の下に隈も多重にできており、擦り切れたハーフパンツ、ペチャンコになったショルダーバッグという、いかにも苦労しているといったような容貌をしてい、話し始めた内容もその容姿に全く見合うものであった。要するに、僅かでもいいからお金を融通して欲しいらしい。

見知らぬ人に物乞いをされるのは2回目の体験であったものの、初回はいかにも行き場のなさそうな女性の乞食であったので特に罪の意識もなく断ることができたが、今回はそこまで自分とは歳の離れていない男に物乞いされたのである。当然無碍に断るのはこちらとしても引け目を感ぜずにはいられない。

 

お辛い話(1)

自分が最近、辛そうな人に一回病院に行くことをお勧めするのは、その人に辛くなって欲しくないからで。

実体験として躁鬱の症状しかわからないけど、自分の場合はお辛みが滲みだしてきた頃(もう何年も前だけど)に病院に行かなかったせいで、ついに昨冬に今思い返すとなんで自殺しなかったのかってくらいの状態までいって、あの時なんで自殺しなかったのかを考えるくらいなんだけれど、そんな生死が丁半博打のような天秤に載せられている状況はおかしいしできれば近くにいる人にはなってほしくないし、だからなるべく早く病院へ行くように勧めてる。

お辛みを随伴するような生活を続けると、その間悩んでた意味はなんだったのか、とか病名をつけて甘えたいだけなんじゃないか、とか考えてますます病院に行きづらくなったりするけど、いつか自然と治ると思ってるほうが傲慢だし、自分のおかしいと感じているところに真摯に向き合えていないと思う。

でも、実際問題として、最初の不登校から10年、最初の睡眠障害から7年?経って、家庭でも色々あって、中高が終わって浪人っていうある意味でじっくり今までを反省するための休息期間が与えられたから、自分のおかしいところに向きあえるようになったという実感はあるし、例えば睡眠障害になってすぐ病院に行って「あーあなたはこういう病気でうんぬん」って言われても、それを受け止めることはできなかっただろうなぁってのはある。

 

それでもなるべく早く病院に行くことを勧めるのは、やっぱり自分の近くにいる人には死を選ばざるを得ない状況に陥ってほしくないし、そうなったらもう止められる手段を素人は持ち得ないからで、そんなのは嫌だし、そうなる前に止めとく手段を提示しないとあとで自分が後悔するというエゴもあるから。

 

まぁ僕の場合は、自殺すると、お葬式にお香典を持ってきてくれる人がいなくなるらしいので、おそらくもう大丈夫でしょう。

物乞わない乞食

余りにも怠惰な生活を虚飾で縁取る為に文字に起こすのはお辛み案件になりえるけど、そうすることで実生活に還元するという一連の実験。

 

辛くなったらやめます。